咳と吐き気が続くなら、うつ病の初期症状かもしれない。早期通院を

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うつ病は、症状として、眠れなかったり、食欲がなかったり、楽しいことに興味がなくなったりすると言われています。

実際に私もそうでしたし、これらの症状が出てくると『うん?なんだか変だ?もしかしたら、精神的に参っているかも』と心の異変に気づくきっかけになります。

食事

心身はつながっていて、心がしんどい時は、体は必ずシグナルをくれるようにできているのです。

ただ、先ほど挙げた眠れない・食べれない・やる気でないといった症状は、最初期の症状ではありません。

最初期の体からのシグナルは、もっと別の小さな変化で、結果、見落としてしまいがちです。

よく、うつ病なのに内科や耳鼻科に行って、原因が分からず、最終的に心療内科を受診し、ようやくうつ病である事が判明したと、書籍やブログで紹介されていますが、あれは本当です。私の場合もこのパターンでした。

私の場合は、ずっと続く、咳と吐き気(えずく)でした。

ちょうど春だったので、花粉症が悪化したと勘違いした私は、色んな耳鼻咽喉科に通院したり、アレルギーの薬を変えたりしました。

うつ病を患ったことのない人間は、メンタルが原因で体の不調になるという発想を持ち合わせていません。

結局、症状は改善せず、そうこうしている内にうつ病が悪化し、食べれない・眠れないになって、ようやく心療内科に行きつくという形をとりました。

吐き気や咳がでてきた初期段階で、通院していれば・・・少なくとも、自分がストレスに押しつぶされそうになっている事に気づいていれば、10年間もうつ病を引きずることはなかったと思っています。

今回は、体からのシグナルである初期症状が見落とされがちであること・早期に通院する事の大切さを、私をモデルケースとして、書きたいと思います。

MEMO
ストレスが過剰にかかっている状態で、継続する体の異変(咳止まらない、吐き気が続く・えずく)などは、うつ病の初期症状化もしれないと、疑ってみるべきです。 

 

大学院中退から就職

大学院を中退する

私は、関西の大学を卒業した後、別の大学院に転籍して遺伝子とタンパク質について研究していました。

natureに論文が掲載されるような、研究室だったので周りレベルが高く驚き、自分の実力(努力する才能や我慢する才能)が明らかに不足している事を痛感したことを覚えています。

加えて、当時共同研究をしていた、30歳位のドクターが本当に意地悪な人で、大好きだったサイエンスが大嫌いになり、大学院を中退しました。

今思えば、勿体ないことしたなぁとも思いますが、当時はとりあえず成果をださないといけないと思い詰めていたので仕方がないかとも思います。

大学院をやめて、当時はいわゆる就職氷河期でしたが、運良く新卒扱いで雇用してくれる会社に入社し、今に至っています。給料は安いですが、離職率の低い安定した会社です。

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人生初めての挫折を若いうちにできて良かったと思っています。おかげで40歳のおっさんになるまで、どんな人に対しても、謙虚でいることができました。
 

勤務先での仕事

私の会社は、様々な部門があり、社員の異動は、かなり流動的に行われます。

一つの部門で大体5年位同じ業務に着いた後、関連性の深い(シナジーの深い)部門に異動となります。特に若手の時は、このローテーションのサイクルが早く、自分の適性のある部署をみつけ、そこでスペシャリストになる事が一つの出世の道となっています。

期待値の高い若手には、職位に関係なく重要なプロジェクトがどんどん回ってくるのも、特徴です。そこで将来の幹部になれるかなれないかの、ふるいにかけられます。

どこの組織も同じだろうと思いますが、本当に優秀な人材は、多くはいません。なので、社内で横断的なプロジェクトが立ち上がった時に、構成員が大体同じということがよくあります。

私自身は、勤続16年で、部署を3つ渡り歩いていますが、部署によって関係法令や求められるスキルが異なるので、その都度、0ベースから勉強をして自分のできる範囲で業務をこなすという毎日を送っています。

仕事で初めてコケる

私がメンタル不調をきたしたのは、2つ目の部署で30歳位の時でした。

自分で言うと気恥ずかしいのですか、会社の中では、上司の評価が高かった私は、当時、社内システムの開発に係る総合調整役を任されていました。

関係部署のニーズ把握と機能の要件定義等(システムにどういった機能を持たせるか詳細を決定していく)で毎日残業が続き、帰宅が午前になることもしばしばという状態でした。

 毎日、プレッシャーを感じながら仕事をしていたわけですが、システムの開発には当然ながら期限があります。

 期限が近いのに、なかなか開発が進まない、プロトタイプをリリースしても現場からは不満の声が上がるなど、独力だけではどうにもならず、上司に相談しても、初めてのプロジェクトなので全くアドバイスがもらえず、最後にはSEが泣いて、匙を投げる等(泣きたいのはこっちだよ)本当に八方塞がりの状態になってしまいました。

止まらない咳、早い段階で通院できず、結局うつ病に

 うつ病の初期症状は咳だった(花粉症と勘違いし、その予兆を見落とす)

そのような状況の中、咳が止まらない、えづいてしまうという身体症状でてきました。

 タイミング的にちょうど春の花粉の時期と重なっていたため、花粉のせいで喉が炎症を起こし、結果咳が止まらないと考えた私は、まず耳鼻咽喉科を訪れた出された薬を、服用しますが症状は全く改善せず、咳はひどくなるばかり。

 当時は、うつという言葉は知っていましたが、それが、体に影響する事がある事を知らず、また自分がうつになるとも思ってもおらず、早く花粉の時期が終わらないかなと考えていました。

必死に咳とえづきを我慢して、咳止めを服用しながら仕事をしていた事を覚えています。

咳

日常生活に問題が出てくる

身体が変調をきたしながらも、システム開発のデッドラインはどんどん近づいてきます。次第に食欲がなくなり、注意力が散漫になり、日常生活に支障が出始めました。

具体的には、バス停を乗り過ごす、タイムカードを押さずに社員口を通り過ぎてしまう、会社のパソコンにログインするためのパスワードが思い出せない等、普通であれば、当たり前に出来ていたことができなくなっていきました。 

ここまでくると、変だと自分でも気付いていましたが、心に余裕がなくなってきているので、うつ病という発想に至りませんでした。 

こういった状況になれば、普通同居している家族は気付くはずですが、ちょうどその頃、2人目の子供が生まれ、妻が里帰りしていたこともあり、単身生活をしており、私の変調に気付く人間は誰もいませんでした。

バス停

限界を超え、仕事ができなくなる(文字が全く読めなくなる)

結局、プロジェクトの状況は好転せず、毎日が自転車操業でした。

そういった状況が2カ月くらい続くと、頭の中が仕事でいっぱいになり、なかなか眠れない日が続くようになっていきました。無理をして仕事に行きましたが、能率が上がるはずもなく、さらに落ち込むという悪循環に入ってしまいました。 

当時の心境は、交通事故にでも遭って仕事をお休みできないかなぁと、本気で毎日思っていました。

 また、周りの社員が8時ごろに帰っているのになぜ自分だけに負担が集中するのか?という不満もありました。当時は若手だったこともあり給料も低かったので、自分より高給取りの同僚や先輩がなぜ自分以下の仕事しかしないのかといった攻撃的な思いも頭に浮かぶようになりました。

 その後も、周囲にうつ状態を悟られないよう仕事を続けていましたが、全く文字が頭に入らない、文章を見ても何もイメージできない、そういう状況になった時、『あぁもう仕事は続けられない、もう会社を休もう』そういう決心ができるようになりました。

無駄なプライドは捨てるべき
今思えば、上司には仕事で問題が発生している事は報告していましたが、もっと自分の弱さダメな所を曝け出して、なりふり構わずSOSが出せば良かったと思います。自分がダメになる前に無駄なプライドを捨てるべきだったと思います

初めて心療内科に通院

うつ病を自覚してから心療内科に行くまでに、私は、妻に自分の状態を説明し、妻の紹介で近所の内科を受診しました。

その内科では心身症やメンタル疾患について気軽に相談に乗ってくれるご高齢のドクターおり、抗不安薬であるデパス(0.5ミリグラム×2)を処方してもらい、心療内科を案内してもらうことになりました。

そのお医者さんに言われたことで記憶に残っているのは、「まだ若いんだから、メンタル疾患で休職すると、将来のキャリアに影響があるよ。」という言葉でした、当時の私の心境は、「出世なんてしなくていいから何とか心平穏に仕事を休まずに続けたい」と思っていました

うつ病時の心理状況
うつ病になると、不安から逃れることしか考えられなくなる。

病院

うつ病後の生活・仕事に対する変化

悩んだ末にうつ病を周囲に公表することなく仕事を続ける事を選択

心療内科通院後、休職するという選択肢もありましたが、私は仕事を続けながらうつ病を治療していく道を選択しました。
内科でもらったデパス自体は私に非常に合っていたみたいで、服用するとすぐに効果があり、集中力や記憶力は落ちるものの、心の苦しさは幾分軽減されること、不眠症状も緩和されました。

 

抗不安薬のについて
抗不安薬は、人によっては非常に有効。私の場合は、飲んだその日から効果がありました。早めに飲むことが最良の選択となることもある。薬に加えて、ストレスの原因(私の場合は仕事)を減らす努力を。

また、職場の上司にも状況を説明し、私が担っていたシステムの開発プロジェクト以外の業務の一部を別の人に割り振ってくれることになりました。(今思うと、ほとんど軽減されていない・・・。どんだけ人材がいない会社なんだ・・・)
さらに、通院していた心療内科からは、休職の意見書を出すことが可能であると言われていましたが、私は病気を周囲に公表することなく、仕事をしながら治療する道を選びました。
薬を服用しながら仕事を続けることにした理由
  • これまで抱えていたプロジェクトのゴールが見えてきたことで心理的な負担が少し軽くなったこと
  • 処方された薬が非常に効果がありゴールデンウィークの休養で、気力が少し回復したこと
  • 当時病気休暇を取らなかった理由の一つは、うちの会社では、病気休暇3回で退職という不文律があったこと

デパス(薬)は症状は緩和してくれるが、回復には時間が必要

デパスを飲んで、少し不安感が落ち着いてきましたが、当然ながら、いつもと同じような業務量はこなすことができませんでした。
一方で周りの期待値は、平時の私のそれと同じなので、大きくそのギャップがかなり辛かったです。できない自分にもどかしさを感じながら、出来るだけ早く帰宅する事、たくさん寝る事を心掛けていました。
うつ病の回復には完璧主義は障害になる
仕事の質をさげること。できない自分を許すことが大切。

うつ発生初期の生活(仕事以外何もできない)

薬を飲み始めて、3カ月くらいの間は、仕事も家庭も必要最低限の事をするので、精一杯でした。すぐにエネルギーが尽きてしまい、焦る気持ちとは裏腹に、頭はまったく回転せず、体もフラフラという状態が続きました。

帰宅してからは、仕事の事をできるだけ考えないようにして、毎日22時には就寝していました(この頃には、殺人的な業務は終了したので、20時頃には帰れる状態になっていました。)。

うつ病を経験した人なら誰しもが納得すると思いますが、エネルギーが切れると自分が好きな事をやる気力までもが失われます。私は、読書くらいしか趣味がありませんでしたが、おそらくデパスの影響でしょう、頭が朦朧として0.5ミリグラムのデパスを服用している期間は全く読書をするという気にはならなかったし、読んでも全く頭に入りませんでした。

休日は、外出する気力もなく、別に見なくもないDVDを見たり、やりたくもないオンラインゲームをしたり、子供の顔をぼーっと見ながら過ごす といった生活をしていました。

当時の私は、家でじっとしてれば、自然にエネルギーが復活すると思っていましたが、今思えば大きな間違いでした、土日は確かに出勤という拘束からは逃れることができますが、家にいても気が休まらないのです。

考えたくない仕事の事が頭をチラチラよぎったり、大したことのない問題を、なぜか大問題のように感じてしまい、気になって脂汗をかいていたりしていました。

家でじっとしているだけでは休息にならない
体を休めても、心はなかなか回復しません。ネガティブな思考の堂々巡りから抜け出すためには、外にでてゆっくり散歩するなど自分の思考を意図的に不安な対象からそらす工夫が必要です。

結果、うつ病の影響で、ライフスタイルも大きく変化し、休日は家族と出かけたりするということが、できなくなっていました。

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回復は少しづつ・・・家事が非常に負担

うつが、急に良くなることはありませんが、日日薬で、時間が経てば少しづつですが、確実に良くなります。

人間の体には、元に戻ろうとする力(恒常性)が備わっている事を実感しました。

私の場合は、大体6カ月位で、以前の6~7割くらいの状態まで戻ることができました。

回復自体は非常にうれしいことなのですが、職場の上司も妻も、私がまだうつ病の影に怯えているとは思わず、10割の状態に戻った、つまり完治したと勘違いをされました。

この頃には、仕事の量も家事の量も以前と同じ分をこなすことを期待されており、不安の波に飲み込まれながら、子供を保育所の送迎や仕事中に急に体が痺れて動けなくなったり、訳もなく心が不安でいっぱいで、何も考えられなくなったりしていました。周囲の期待と自分のできることのギャップに苦しめられた記憶があります。

うつ病が少し改善すると、周囲に全回復したと誤解される
うつ病が少し良くなると、周囲には完治したと誤解され以前と同じレベルを求められることが多い。できないことはできないとハッキリいうべき。私はここで無理をしてうつ病の寛解に10年かかりました

当時から、うつの治療の本なども読んでいましたが、なんとなくしっくりこない本ばっかりだったことから、何もしないでうつ病を治すという消去的な対応になってしまいました。
今思えば、もっといろんな情報に触れて、認知療法や運動療法、瞑想などを生活に取り込んでおけばより、短期間で改善できたと思います。

【補足】うつ病を周囲に公表しないことのデメリット

私は、仕事を続けながらうつ病を治療する道を選びましたが、周囲にうつ状態を隠すのは、めちゃくちゃ辛かったです。残業や飲み会は断れないし、仕事ではこれまでと同じクオリティーを期待されます。
その後の約10年間、気分の浮き沈みを経験し、不安と格闘しながら服薬をずっとつづけています。
病気を騙し騙しやりくりしてきたその代償は大きく、今でも不安に苛まれる事もあります。
ようやく最近になって、薬を飲む行為を意識なくなりました。(土日は、飲まない生活をしています)
減薬は意識しない
うつ病の人の最終的な望みは楽しく人生をおくるのがことです。減薬は最終目的ではありません。拘らない方がいい。うつ病を受け入れる。うつ病と生きていくという意識が大切です。

【結論(まとめ)】

メンタルが不調で、体に何らかの症状が出てきた場合、うつ病を疑ってください。
早期通院して自分に合うを薬を見つけてください、まずはそこからです。
最初の落ち込みさえクリアすれば、あとは正直なんとかなります。道は開けてきます。回復の途中で、周囲は完治したと誤解し、以前の同じレベルの対応を求められるかもしれません。自分の心を守ることを最優先に、できることをできる範囲でやりましょう。ここで、無理はしないようにすべきです。一緒に頑張りましょう。
brige

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